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ゲストブックにご記入くださった事柄は、明かり窓から射し込む日の光に他なりません。(^o^)ゞ
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溝上 玄祐 様 > 尚 允恭紀以前の書紀の紀年は三国志 晋書関連の記述を除いては全て人為的配分で もし、溝上様が、2.ハツクニシラス天皇が2人いる理由 3.『日本書紀』の年代復元の可能性のいずれかをご覧頂いていたならば、上記のようなことは言われないはずです。 「貴説と拙HPの愚説は噛み合いそうにありません。」という理由は、こんなことにもあります。 2011年12月30日
(金) |
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溝上 玄祐 様 拙HPの出発点は、「邪馬台国ファンへの新提言」でした。その表紙には、自分で写した岩戸山古墳の別区に建てられた石人・石馬のレプリカの写真を使っています。 しかし、次の命題に関する貴説と拙HPの愚説は噛み合いそうにありません。 命題 結論(MM3210の愚説) 2011年12月21日 (水)
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和田 光平 様 お久しぶりです。上質なHPの閉鎖を残念に思っていただけに、今回の復活、何よりです。 拙HPのリンク集を覗く物好きはいないでしょうが、再度リンクさせていただきました。 2011年12月14日 (水)
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■いろは歌を神の数と言われる7字で区切ると 1.左端を縦に読むと「かかとつける」。西洋の悪魔には踵がないので、「かかとつける」とは、悪魔を悪魔でないように見せる事。つまり、にせキリストです。 5.日から右回りに読んで、「日でりの夏よ、免れる」8文字。 |
M君 様 「かごめ歌の暗号」を検索すると、YAHOO!では、約248,000件と表示されました。 一方「暗号山上憶良」を検索すると、それより一桁少ない約34,500件と表示されましたが、 > ネットで情報発信をし、多くの人の人海戦術で、謎を解くと言うのが、私の戦略です。 平安時代に、「あめつち」「たゐに」「いろは」と呼ばれる、3通りの字母表が作られています。 |
山上憶良(やまのうへおくら) いせ物語9(4+5)段の暗号
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「上」字型の暗号の解読図 山上憶良(山のうえのおくら) |
「止」字型の暗号の解読図 山上憶良・紀貫之(きのつらゆき) |
れ入手 | 紀帝 化字文 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ぬ = お |
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名を伏せよ(なをふせよ) | ゐ=為 | 為憲 稗田阿礼・山上憶良 |
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作為がなければこのようなことは起こりえないことにショック受けて、「ネットで情報発信」に力を注いでくれる方の出現を期待しています。 2011年12月6日(火) MM3210 |
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シュリンターザー
様 分杭峠がどのような場所であるかは、「パワースポット「分杭峠」(ぶんぐいとうげ)ゼロ磁場の情報サイト」によって知ることができました。 しかし、拙HPとは無縁のものなので、今後このような内容の投稿は削除させて頂きます。 2011年11月11日(金) |
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古東 正舟 様 「日本霊異記」第28のなかに、次のように非現実的な出来事が記されています。 ----------------------------------------------------------------------------- わが国の人道昭法師が天皇の命を受けて、仏法を求めに唐に渡った(白雉4年=653年)。 そのとき虎の群の中に人間がいて、日本語で質問した。法師は、「誰か」とたずねると、「役優婆塞だ」と答えた。 法師はわが国の聖人だと思って、高座から下りて捜したがいなかった。 ----------------------------------------------------------------------------- Googleマップの「御来光の道と五芒星」を利用して、燈明ヶ岳の位置関係をチェックすると、 しかし、その方位線を延長すると朝鮮半島に到るので、「日本霊異記」第28の挿話を知っていれば、この方位線には何か特別な意味があるかも知れないと感じます。 すると、「伊弉諾神宮→出雲大社」と「燈明ヶ岳→熊野大社」が平行であることに気づき、出雲にある熊野大社から、熊野にある出雲がクローズアップされます。 特に、今回は、森野奥人氏が「若狭神宮寺―出雲(串本町)」間の距離が子午線2度に相当することを指摘されていることを知ったばかりですから、この2点に目が向きます。 得られたデータは、すべての人々を納得させるものではありませんが、古東様は、「御来光の道と五芒星」と下表から、何らかの作為の存在が読み取れるでしょうか。 なお、出雲(串本町)の座標は、「電子国土ポータル」で、都道府県「和歌山」、地名「出雲」を検索したもので、Googleマップの「朝貴神社」の座標ではありません。 |
燈明ヶ岳(または七宝滝寺)の位置関係
対 象 | 北 緯,東 経 | 方位角(逆)/距離 | 備 考 |
若狭神宮寺→ 出雲(串本町) |
352734.74,1354659.26 332703.55,1354713.97 |
179°54′ (359°54′) 222,823(m) |
35°27′34″ −33°27′03″ 子午線2度 |
燈明ヶ岳→ 七宝滝寺 |
342007.08,1352257.35 342027.05,1352259.15 |
4°17′ (184°17′) 617(m) 近接 → |
100km以上離れた 対象との位置関係は どちらでも大差なし。 |
燈明ヶ岳→ 熊野大社 |
342007.08,1352257.35 352224.10,1330413.63 |
299°14′ (117°55′) 240,761(m) |
![]() →出雲大社 と平行 |
伊弉諾神宮 →出雲大社 |
342736.88,1345109.03 352406.88,1324108.08 |
298°26′ (117°12′) 223,844(m) |
299°14′ −298°26′ =48′ |
伊弉諾神宮 →元伊勢 |
342736.88,1345109.03 352548.51,1350916.15 |
14°18′ (194°28′) 111,080(m) |
18°00′ (198°00′) 111,111m |
燈明ヶ岳→ 若狭神宮寺 |
342007.08,1352257.35 352734.74,1354659.26 |
16°15′ (196°28′) 129,9953(m) |
18°00′ −16°15′ =1°45′ |
熊野本宮 →伊吹山 |
335026.05,1354624.48 352504.21,1362422.75 |
18°10′ (198°32′) 184,343(m) |
18°00′ (198°00′) 179,782m |
燈明ヶ岳→ 出雲(串本町) |
342007.08,1352257.35 332703.55,1354713.97 |
159°00′ (339°14′) 104,986(m) |
162°00′ −159°00′ =3°00′ |
元伊勢→ 熊野本宮 |
352548.51,1350916.15 335026.05,1354624.48 |
161°59′ (342°20′) 185,245(m) |
162°00′ (342°00′) 179,782m |
伊吹山→ 伊勢内宮 |
352504.21,1362422.75 342717.60,1364333.03 |
164°38′ (344°48′) 110,745(m) |
162°00′ (342°00′) 111,111m |
伊勢神宮(内宮) →出雲大社 |
342717.60,1364333.03 352406.88,1324108.08 |
287°02′ (104°43′) 383,775(m) |
燈明ヶ岳→ 伊弉諾神宮 に平行 |
燈明ヶ岳→ 伊弉諾神宮 |
342007.08,1352257.35 342736.88,1345109.03 |
286°01′ (105°43′) 50,675(m) |
伊勢神宮(内宮) →出雲大社 に平行 |
余計なことかも知れませんが、「七宝滝寺の歴史」には、次のような解説が載っています。 ----------------------------------------------------------------------------- 犬鳴山は、斎明天王の7年(西暦661年)、修験道の開祖である役小角が28歳の時に開基されました。大和の大峰山より6年早く開山されたので、元山上と呼ばれます。役行者の開山時に倶利伽羅大竜王が出現し、これを本尊としたと伝えられています。また葛城峯中の奥の院とも呼ばれ、葛城二十八宿修験根本道場でもあります。役行者は当山で、国家安穏、五穀豊穣、緒人快楽の密法を修せらた。 ----------------------------------------------------------------------------- まず、「斉明天皇」を「斎明天王」と誤記しています。「斉明」を「斎明」と誤記する例は多く、 「修せらた」は「修せられた」が正しいはずです。このような入力ミスは、私もよくやります。 しかし、真言宗の寺院のHPに、「諸人快楽」を「緒人快楽」と間違えているのは、いかがなものでしょうか。私には、お粗末過ぎるように思われるのですが……。 2011年7月24日(日) MM3210 |
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前回の投稿を削除した理由。 > 後期高齢者の私には、古代日本にカバラが来ていたという森野氏の説は理解できそうにありません…… |
対 象 | 北 緯,東 経 | 方位角(逆)/距離 | 備 考 |
山上ヶ岳→ 大山剣ヶ峰 |
341508.64,1355627.69 352216.4,1333246.7 |
300°13′ (118°51′) 251,810(m) |
![]() |
山上ヶ岳→ 伊勢神宮(内宮) |
341508.64,1355627.69 342717.6,1364333.0 |
72°30′ (252°56′) 75,615(m) |
伊弉諾神宮→ 富士山剣ヶ峯 に平行 |
伊弉諾神宮→ 富士山剣ヶ峯 |
342736.8,1345109.0 352138.3,1384338.5 |
73°09′ (255°22′) 367,903(m) |
73°09′ −72°30′ =0°39′ |
山上ヶ岳 →伊吹山 |
341508.64,1355627.69 352504.2,1362422.7 |
18°05′ (198°21′) 136,115(m) |
伊吹山・熊野本宮 ・山上ヶ岳は 同一直線上にある |
山上ヶ岳→ 熊野本宮大社 |
341508.64,1355627.69 335025.7,1354624.1 |
198°46′ (18°40′) 48,244(m) |
伊吹山・熊野本宮 ・山上ヶ岳は 同一直線上にある |
伊吹山→ 熊野本宮大社 |
352504.2,1362422.7 335025.7,1354624.1 |
198°32′ (18°10′) 184,356(m) |
伊吹山・熊野本宮 ・山上ヶ岳は 同一直線上にある |
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古東 正舟 様 いつも、興味深い情報をご提供頂き、有難うございます。 特に、今回お知らせ頂いた、「古代日本にカバラが来ていた」の著者が、HN森野奥人で公開しているサイト「古代日本謎の中東思想渡来考」は、私にとって非常に興味深いものでした。 まず、内田一成氏のブログで上図に接し、「大地に描かれた五芒星の秘密」をUPしている私は、お知らせ頂いた「畿内の五芒星」にアクセスして、「何でこんなHPを?」と、訝りました。 しかし、五芒星の図に添えられた、「図形は、一辺111Km(1緯度長)のほぼ正五角形をしている」という解説が目に留まると、慌てて「10000÷90=111.1……」を確認していました。 地球の大きさが捉えられていた証拠を「北海道測量を証言する多胡碑」で列挙し、さらに「伊能忠敬が算出した子午線1度の長さ」を問題にした私が、この事実を見落としていたのです。 それはさておき、近畿の五芒星の発見者である森野氏の明察によって、日本書紀の編者などに地球の大きさに関する知識があっても不思議ではないことがわかった訳です。 後期高齢者の私には、古代日本にカバラが来ていたという森野氏の説は理解できそうにありませんが、封印されていた古代地上絵の発掘の成果は、大いに参考にしたいと存じます。 なお、近畿の五芒星の発見者は森野氏以外にはいないと思った私は、大国大東氏のブログの2010/10/15「近畿逆五芒星」に次のようにあるのは記憶違いではないかと感じました。 「近畿逆五芒星を知ったのは約40年前で、グラビア目的で買った平凡パンチか、プレイボーイに古代史の不思議というような特集で載っていたのを何故か憶えている。」 そこで私は、森野氏に、どう思われるかを直接お聞きしてみました。すると、森野氏は、以前に、内田氏に、著書「古代日本にカバラが来ていた」を知っているか、訊ねていたとのこと。 ----------------------------------------------------------------------------- 内田さんからはこのような回答がありました。 どこが、あるいは誰が最初の出典であるのか不明なため、出典に関しては情報を この中の、大本教や方位関係の研究者などがすでに案内しているものでもありというのが、私には掴めないわけで、これが大国大東さんの仰っているものなのかどうかもわからないでおります。 ----------------------------------------------------------------------------- もし、大本教や方位関係の研究者などがすでに案内しているものをご存知の節は、ご教示頂ければ幸甚に存じます。 2011年7月17日 MM3210 |
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五節句 様 リンクの件、わざわざご連絡頂き、有難うございます。 なお、多胡碑については、「ド素人が発見した日本の秘密」でも取り上げています。 ところで、「月夜野」という地名のことは、当然、私も初耳だったので、Yahooで検索してみると、ウイキペディアに、文章は違いますが、同じことが載っていました。 そこで、物好きにも、次のような形で、ウイキペディアと道の駅の案内書の解説がどのぐらい引用されているかを数えてみました。 道の駅の案内書→「源順(みなもと の したがう)が東国巡行の途中」 11件 ウイキペディア→「源順(みなもと の したごう)が東日本の各地を巡行した際」 27件 2011年5月10日 MM3210 |
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古東 正舟 様 興味深い情報を、たびたびご提供頂き、有難うございます。 今回頂いた情報では、重森三玲氏が、全国500箇所の庭園を実測調査していることに興味を感じました。 けれども、「同じ文字なき四十七文字の歌」の暗号に全てを託して何も語らなかった本居宣長の例に類するような事柄を期待することは、無理ではないかと思います。 ところが、皮肉なことに、重森三玲氏の生地「加賀郡吉備中央町」をGoogle Mapで検索すると、目印が、だんじりで有名な愛媛県西条市の加茂川を連想する、町役場加茂川庁舎を指し、宇甘川を隔てた対岸に「いろは屋」がありました。 それはさておき、(古東 正舟氏のご指摘)と断り、上掲の情報を添えて、天性寺(岸和田市)とその東の岸和田城を、伊弉諾神宮を中心とした太陽の運行図に加えさせて頂きました。 2011年4月10日(日) MM3210 |
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いしゃま 様 いしゃま様は、2011年3月30日 (水) 17時36分にブログ「風来香」にコメントを投稿されている “暗号「山上憶良」のゲストブック”では、当HPに関するご意見ご感想をお願いしています。 今回ご記入くださった事柄は、当HPの管理人には、そのようなものと受け止めかねます。 したがって、ご期待に沿えるご返事ができませんので、申し訳ありませんが、もし今後同様の書き込みがあった場合は、カットさせていただきます。 なにとぞご了承下さるようお願い致します。m(_ _)m 2011年4月4日(月) MM3210 |
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komoriya 様 「かごめかごめ」が謎を秘めた歌であることは、ウイキペディアでも取り上げていますが、私には余力がないので、拙論とは無関係とみなし、首を突っ込まないことにしています。 > 太田氏はマスタ−プランに触れていない 太田氏は「人類は太古のマスター・プランにあやつられていた」という結論を出しています。 太田氏の著書について紹介した拙HPの“「日本古代遺跡の謎と驚異」について 序”では、そのようなことは私には理解できないとしています。 2011年2月12日 (土) |
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古東 正舟 様 OCNを利用していた頃、ある方に、「読後感を記入しやすくすれば」とご忠告頂き、それに従ったところ、えらい目に会いました。 それに懲りて、YAHOOに替えてからは、メールアドレスは公表しないことにしました。 また、当方は、2チャンネルで「トンデモ」のレッテルを貼られ、「 【隔離】 MM3210の相手をするスレ 【限定】 」で検索すると、80件以上がヒットし、次のような扱いを受けています。 |
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2011年2月9日 (水) M M 3210 |
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古東 正舟 様 アメーバやツイッターとは、全く無縁です。 > 公開の場では言えませんので・・・ ご好意からでしょうが、当方は、「明かり窓から射し込む日の光」を求めているので、公開の場で言えないことは、お聞きしたくありません。 2011年2月9日 (水) |
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古東 正舟 様 黒住教の教祖黒住宗忠については、HP「黒住教」に詳しく紹介されています。 私も、この教祖に敬意を表するために、「太陽が描く洞雲山の夏至観音」の最後において、 > 正体を隠してアクセスしている人が、貴HPを無断で転用するかも知れません。 無断の転用に対する用心とは、具体的にはどのような対策を講じることでしょうか。 私の場合は、自分が発見した事柄が少しでも多くの方々に知られることを願ってHPに取り組んでいるので、無断でも、転用していただければ、ありがたいことになります。 2011年2月5日 (土) |
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古東 正舟 様 瀬野尾 K夫氏のHPに、山中恒「ボクラ少国民」〜子どもから見た戦争〜 「墨塗られた教科書」にあるように、両氏より私は4歳年下で、傷つき方は浅いでしょうが、 したがって、レイラインについても、宗教的な受け止め方はしていません。 そんな私でも、カイラス山(←You Tube 動画)と恐山(←You Tube 動画)の結びつきには、規模の違いはあるものの、なぜこんなことが起こったのだろうか、と驚嘆せざるを得ませんでした。 2011年2月5日 (土) |
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古東正舟 様 >時期的に私を疑われているとしたら・・・ 疑っていません。 「ITギア アクセス解析」では、アクセスがあると、次のような記録が4日間残ります。 |
2011/02/01 19:00:00 | 67 | 乱数表による暗号 | nat-faculty.hc.keio.ac.jp |
"Mozilla/5.0 (Macintosh; U; Intel Mac OS X 10.5; ja-JP-mac; rv:1.9.2.13) Gecko/20101203 Firefox/3.6.13" |
"http://www.geocities.jp/yasuko8787/02-05.htm" | 1680x1050(24bpp) | ja | 2DE0A5A06F |
特異な来訪者のアクセスでは、3段目にあたる部分が「"-" - - -」となり、1日に何回アクセスしても、全てユニークアクセスになるのです。 逆に正常な来訪者の場合は、「2DE0A5A06F」によって、個人が識別でき、この部分を分りやすい文字に置き換えることもできます。 したがって、下表のアクセス数の少ない解析ページに、たとえば時間をきめてアクセス頂ければ、誰がアクセスしたか分るようにできるのです。 |
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全ページのアクセス数を一覧表示します。
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友人のアクセスが分るようにしたこともありますが、全然相手にされず、拙HPが一般の人には如何に興味がないものであるかを思い知らされる結果となりました。 2011年2月1日 (火) |
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古東正舟 様 萩原天神本殿の真東に、箸墓があります。しかし、そのことに、何らかの意味があるといえるかどうかは、私には分りません。 カイラス山と日本との位置関係では、何か発見できても意味はないという立場でチェックしたのですが、高野山、比叡山と並ぶ日本三大霊場の一つである恐山と結びつき、驚きました。 2011年2月1日 (火) |
対象 | 北 緯,東 経 | 方位角(逆)/距離 | 備考 |
萩原神社本殿→ 倭迹々日百襲姫墓 |
343215.29,1353156.70 343221.00,1355028.28 |
89°33′ (269°44′) 28,345(m) |
→ 緯度の差6秒弱 |
カイラス山 →佐多岬 |
310400,811845 305943.20,1303939.16 |
76°46′ (283°25′) 4,670,646(m) |
緯度の差 4分強 |
カイラス山→ 富士山剣ヶ峯 |
データはウイキペディアによる 310400,811845 352138.12,1384338.68 |
68°38′ (282°04′) 5,299,200(m) |
特別な位置関係 は存在しない |
カイラス山 →恐山(卍) |
310400,811845 411937.39,1410524.97 データはウイキペディアによる |
60°19′ (277°58′) 5,387,765(m) |
![]() |
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古東正舟 様 23日(日)午後9時00分〜9時49分に、 NHKスペシャルで「”邪馬台国”を掘る」が放映されました。その影響が、拙HPの「邪馬台国を示す地図」へのアクセス数にも見られます。 24日(月)の9時・10時のアクセスの急増は、個人を区別できる閲覧記録を残さない、特異な来訪者のアクセスによるものです。1月6日の異常アクセスも、同一人の仕業だったようです。 |
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12:邪馬台国を示す地図
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> 内田一成さんのHPも凄いですが、貴HPは桁違いに凄いです。 拙HPの内容を認めていただき、嬉しく存じます。次表のように、リピーターが少ないHPだけに、「ありがとうございます」、とお礼を言わずにはおれません。 2011年1月26日 (水) |
アクセス回数 | 訪問者数 |
比率 |
|
1 | 1 | 6,931 | 95.5% |
2 | 2 | 222 | 3.1% |
3 | 3 | 50 | 0.7% |
4 | 4 | 15 | 0.2% |
5 | 7 | 9 | 0.1% |
6 | 5 | 8 | 0.1% |
7 | 6 | 4 | 0.1% |
7 | 9 | 4 | 0.1% |
9 | 17 | 2 | 0.0% |
9 | 16 | 2 | 0.0% |
9 | 15 | 2 | 0.0% |
9 | 20 〜 29 | 2 | 0.0% |
13 | 11 | 1 | 0.0% |
13 | 30 〜 39 | 1 | 0.0% |
13 | 40 〜 49 | 1 | 0.0% |
13 | 18 | 1 | 0.0% |
13 | 13 | 1 | 0.0% |
13 | 100 〜 149 | 1 | 0.0% |
13 | 19 | 1 | 0.0% |
13 | 10 | 1 | 0.0% |
※ユニークアクセスの回数です。
全訪問者のうち、4.5% の人が再び訪れています。
|
古東正舟 様 夏至観音の意義をきちんと把握することは、私には簡単に解決できない困難な課題です。 けれども、きわめて珍しい現象を紹介するうえで、いくらかでも役に立てばと思い、とりあえず そのように、夏至観音に関する考えをまとめることができないでいるのに、今回さらに、冬至の日に縁のある黒住宗忠をご紹介いただき、恐縮しております。 まず、冬至の日に当たる誕生日=安永9年11月26日が、干支を使うと子の年、子の月、子の日と、意図的にしたのではないのに、「子」が3連続するだけでなく、 天照太神と同魂同体となる霊的体験をした日も、冬至の日で、しかも、作為はないのに、文化11年11月11日と3連続の「11」になっているという特異な事実は、衝撃的です。 このような特異な具体例の存在は、確率的に起こりにくいことがつぎつぎに起こるのは偶然ではなく、作為があるからだ、とみなす拙論の根拠を脅かすことになりかねません。 位置関係(Google My Map)については、次のようなことが目に付きました。 |
対 象 | 北 緯,東 経 | 方位角(逆)/距離 | 方 向 |
今村宮→ 須我神社 |
343843.31,1335339.31 352114.30,1330153.93 |
315°12′ (134°42′) 111,269(m) |
![]() |
宗忠神社→ 須我神社 |
343844.86,1335406.24 352114.30,1330153.93 |
314°56′ (134°26′) 111,719(m) |
![]() |
今村宮→ 宗忠神社 |
343843.30,1335339.26 343843.49,1335406.18 |
89°31′ (269°31′) 686(m) |
→ 緯度の差0.2秒 |
姉のアマテラスを祭る今村宮に対し、弟のスサノオを祭る須我神社はきっちり北西に位置しています。なお、宗忠神社と黒住教本部に対しても、須我神社は北西に位置しています。 昇る朝日を拝む「日拝(にっぱい)」の宗教黒住教らしく、明治18年、宗忠の生地である大元に創建された宗忠神社は、今村宮から見れば、春分・秋分の日の出の方向に当たります。 また、岡山市尾上神道山にある黒住教本部に対し、宗忠神社は冬至の日の出の方向にあります。この位置関係(Google My Map)は、作為に基づくものと見て間違いないはずです。 |
対 象 | 北 緯,東 経 | 方位角(逆)/距離 | 方 向 |
須我神社→ 黒住教本部 |
352114.30,1330153.93 343949.48,1335140.63 |
135°05′ (315°33′) 107,695(m) |
![]() |
黒住教本部 →宗忠神社 |
343949.48,1335140.63 343844.86,1335406.24 |
118°25′ (298°26′) 4,221(m) |
冬至の日の出の方向 118.3度 |
標準時 日本標準時 観測地 経度、緯度指定 高さ 0 m タイムゾーン -1h 経度 133.867E 緯度 34.667N 天体名 太陽 |
神道山にある黒住教本部に対し 宗忠神社は冬至の日の出の方向 日の出、日の入、月の出、月の入 による数値(↓) |
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以前、「伊弉諾神宮を中心とした太陽の運行図」に、伊弉諾神宮の真南に諭鶴羽神社があるとしているのは、ひどすぎるとして、5段階評価で1にしていました。 しかし、伊弉諾神宮の真西に位置する洞雲山が対象に加わると、そこが夏至の日の入りの方向に見える地点として、諭鶴羽神社(Google My Map)が意味を持つことになります。 2011年1月25日 (火) |
対 象 | 北 緯,東 経 | 方位角(逆)/距離 | 方 向 |
伊弉諾神宮 諭鶴羽神社 |
342736.8,1345109.0 341351.2,1344854.7 |
187°42′ (7°40′) 26(km) |
真南 180°との 差7°42′ |
伊弉諾神宮→ 洞雲山(霊場) |
342736.8,1345109.0 342732.2,1341953.3 |
269°58′ (89°41′) 47.9(km) |
← 緯度の差5秒 |
諭鶴羽神社→ 洞雲山(霊場) |
341351.4,1344854.7 342732.2,1341953.3 |
299°45′ (119°28′) 51,191(m) |
![]() |
年月日を干支で表すと、干支は12通りだから、その表われ方は、12×12×12=1728通りになります。 それゆえ、365日に1回しかない冬至の日に子供が生まれ、その日が、子の年、子の月、子の日になることは、1728×365日=630720日につき1日の割合でしか起こりません。 それでは、冬至の日が文化11年11月11日というように、3連続の「11」になることは、どの程度起こりにくいことでしょうか。 新暦の冬至は12月の21日か22日ですが、旧暦では11月に含まれるようにしているので、問題になるのは、「○○11年」の起こる割合と、11日の起こる割合だけです。 「○○11年」の起こる割合を、便宜的に、黒住宗忠の生存期間中の年号でチェックすると、寛政・文化・文政・天保の4回となり、21年に1回の割合となります。 これを用いると、11日のほうは、30日に1回と見ればよいので、旧暦の冬至が「○○11年 さすがに、“和魂の神人、黒住宗忠”だ!! 誕生日も“天命直授”を得た日も、凄い。 そのように感じる方なら、「歴史学コース掲示板」に、2010年10月10日10時10分11秒に投稿された「古事記没年干支が明かす大秘密」の次表を見れば、驚嘆するはずです。 |
代数 | 天皇 | 書紀の年代 Y | 暫定的年代復元式 | 復元値X | 古事記没年 | X−Z | |
西暦Z | |||||||
【10】 | 崇神 | 元年 −97 | X=(Y+843)/3 (1) | 248 | 戊寅 18 | 258 | −【10】 |
合成 | 成仲 | 没年 200 | X=(Y+842)/3 (イ) | 347 | 丁巳 57 | 357 | −【10】 |
15 | 応神 | 没年 310 | X=(Y+842)/3 (イ) | 384 | 甲午 34 | 394 | −【10】 |
16 | 仁徳 | 没年 399 | X=(Y+435)/2 (ロ) | 417 | 丁卯 07 | 427 | −【10】 |
合成 | 正中 | 没年 410 | X=(Y+435)/2 (ロ) | 422 | 壬申 12 | 432 | −【10】 |
19 | 允恭 | 没年 453 | X=(Y+435)/2 (ロ) | 444 | 甲午 34 | 454 | −【10】 |
21 | 雄略 | 没年 479 | X=Y (ハ) | 479 | 己巳 09 | 489 | −【10】 |
なお、「通じない確率2兆8千億分の1」にあるように、2010年10月10日10時10分11秒は、2010年10月10日10時10分10秒を狙って、失敗したものです。 |
toto 様 「乱数表による暗号」の解説において、用語「行」と「列」の用い方が逆になっているとのご指摘、ありがとうございました。早速、訂正しておきました。(参照:縦書きと横書き) 今は、きちんと区別できるのですが、「乱数表による暗号」を書いたときには、迷いを生じ、辞書などで調べて、余計に混乱していたのかも知れません。お恥ずかしい限りです。 「今後ともよろしくお願いします」といえば、「今後も拙HPを読んで下さい」という、図々しいお願いになりますが、やはり、今後ともよろしくお願いします。m(_ _)m ところで、検索してみると、「行と列」に関して、「行と列の覚え方」「 どっちが行でどっちが列だったか毎回忘れる」などがあり、同病相哀れむ仲間がいることが分りました。 なお、検索していると、次のような2図がありました。両者に矛盾はないのでしょうか。 2011年1月22日
(土) |
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対 象 | 北 緯,東 経 | 方位角(逆)/距離 | 方 向 |
伊弉諾神宮→ 洞雲山(霊場) |
342736.8,1345109.0 342732.2,1341953.3 |
269°58′ (89°41′) 47.9(km) |
← 緯度の差5秒 |
古東 正舟 様 ゲストブックへの書き込み、ありがとうございます。 お教え下さった「小豆島八十八ヶ所霊場の第一番『洞雲山』」を検索してみると、 http://www.e-shodoshima.com/の第一番 洞雲山には、「夏至の頃突然現れる夏至観音像。ほんの数秒ほどの現象だ」と解説のある写真が載っており、 「夏至観音」で検索すると、四国新聞社のSIKOKU NEWSには、次のようにありました。 ----------------------------------------------------------------------------- 夏至前後の約50日間、晴天の日だけに見られる神秘的な光の観音像「夏至観音」が 18年前にお遍路さんが偶然撮った写真の中にその姿を発見し、話題となった。 ところで、古東様が興味をお示し下さった箇所は、残念ながら、内田一成氏の、「LEYLINE HUNTING」の「浮かび上がる五芒星の謎」の受け売りです。 レイラインに興味を示す方は多いらしく、2011年1月6日(木)の15時には、下表のように、 こういった現象は、ツイッターの発言などによって生じるのでしょうか。 2011年1月10日 (月)
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2008年6月15日午後3時過ぎ | 日本のレイラインの実態 2011年1月6日(前日) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
洞雲山の岩肌に出現した「夏至観音」 |
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対 象 | 北 緯,東 経 | 方位角(逆)/距離 | 日の出 | 方 向 |
須我神社→ 伊弉諾神宮 |
352114.2,1330153.9 342736.8,1345109.0 |
120°16′ (301°18′) 194(km) |
冬至 | ![]() |
伊弉諾神宮→ 伊勢皇大神宮 |
342736.8,1345109.0 342717.6,1364333.0 |
89°40′ (270°44′) 172(km) |
春分 秋分 |
→ |
伊勢皇大神宮 →富士山 |
342717.6,1364333.0 352146.4,1384353.2 |
60°38′ (241°47′) 209(km) |
夏至 | ![]() |